藪の眼には涙もでない

藪医者ヤブーのブログ 健康に関すること。独り言。 患者さんの話はフィクションです。

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本日の感染症


官房長官、夫婦別姓と外国人参政権に前向き2010.6.17 17:25
 仙谷由人官房長官は17日の記者会見で、選択的夫婦別姓制度を導入するための民法改正と、永住外国人への地方参政権(選挙権)付与法案について「民主党としてはなるべく早く実現させたいという立場だ。菅内閣も基本的にはそういう考え方だ」と述べ、早期成立を目指す考えを示した。

 ただ、仙谷氏は「改めて政策調査会と所管のところで、国民新党との調整を含めて探りつつやっていく」とも指摘し、両法案に反対している国民新党側への一定の配慮も示した。MSN産経ニュースより引用




 本日の当ヤブークリニックの主な感染症の傾向です。
1.感染性胃腸炎            4人
2.急性気管支炎            7人
3.溶連菌感染症            3人
4.おたふく風邪            1人
5.手足口病              1人

 だいたい以上のような感じだったと思います。
 溶連菌感染症がやや多い印象です。

 この国の行方が大体見えてきました。
 亡命先を探すには、借金しかなくて身動きがとれません。
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*** COMMENT ***

小林よしのり『台湾論』-「日本人」とは「国家」とは何か !

≪蒋介石時代≫
※清王朝を滅ぼした「中国国民党」の指導者・孫文の後継者。
内戦の戦国状態となった支那大陸の統一に一時成功するが、その余勢を駆って「革命外交」と称し、
国際条約を無視して大陸の外国資産の強奪を図り、それが原因で日本と戦争(満州事変)になった。
一時は日本との和解を探るが、結局日中戦争に突入。
連戦連敗したが、諸外国、特にアメリカの莫大な援助で抗戦を続け、さらに日米戦争の結果勝者となる。


日本の敗戦により台湾は蒋介石のものになった。
当時台湾にいた48万8000人の日本人のうち、
約20万人は台湾への残留を希望したが、蒋介石はそれを許さなかった。

引き揚げの際、携行を許されたのは、一人につき現金1000円と食糧、リュック2袋分の必需品のみ。
日本が50年にわたって堂々と築き上げてきた膨大な資産はすべて蒋介石率いる中国国民のものになった。

台湾の軍事施設、船舶525隻、軍用機889機、装甲車、高射砲、鉄砲など主要兵器及び弾薬。
20万将兵の2年分の装備、軍需品、食料231万トン。

台湾総督府を始めとする官庁、学校、官営企業、病院などの官営施設ばかりでなく、
私企業、私有財産、ビルや文化施設、20万戸の住宅。
全耕地の20%、山林の90%。
7つの銀行の本支店の預金、各地の在庫の米、砂糖、日用雑貨、原材料もすべて「敵産」として没収された。

資産総額は、当時の金額で約110億円。
全台資産の6割ともいわれる莫大な資産すべてを蒋介石がぶんどった。




どういうわけだか戦中派の、特に支那大陸から引き揚げて来た方は、
よく蒋介石を恩人のように言い、記念碑まで建てたりする。


戦争の時、蒋介石先生は、中国の民衆に向かって「徳を以て怨みに報いる」と言って、
復讐をしないよう呼びかけた。
敵国を恨まず、堂々として東洋道徳の範を示し、しかも賠償まで放棄して日本に1円も求めなかった。
・・・そのように言う戦中派がいるのだ。

だが、本当は、蒋介石は終戦時「徳を以て怨みに報いる」などとは一度も言ってない!
それは後になって流されたデマ宣伝である。

賠償を放棄したのも当たり前である。
蒋介石は正規に得られる賠償よりもはるかに膨大な資産を不法にぶんどっているのだから。

戦後、日本は国民党に対して、何回も双方の個人、私有財産の精算を求めたが、
国民党は今日まで全く答えていない。
そして今も国民党は世界一の金持ち政党である。
台湾よりもっと規模の大きい満州や大陸各地の資産をぶんどった中国共産党も事情は同様である。

中国国民党は、ナチスやイタリア・ファシスト党、ソ連共産党の構造を真似た、
蒋介石個人独裁のファシズム政党だった。

戦中派の幻想を壊して悪いが、蒋介石こそはヒトラー、スターリンに続く独裁者であり虐殺者であった。
アメリカは「自由と民主主義の戦い」を標榜しながらファシズム政党を支援して、
日本と戦ったのだということは、はっきり歴史に記しておかなければならない。

蒋介石は、大陸から台湾に、現在に続くありとあらゆる災厄を持ち込んだ。
台湾人は、「アメリカは日本には原爆を落としただけだが台湾には蒋介石を落とした」と言ったものである。

小林よしのり『台湾論』-「日本人」とは「国家」とは何か !

蔡さんの本『台湾人と日本精神(リップンチェンシン)』(日本教文社)には、
日本の敗戦後の様子が生々しく描写されている。
蔡さんのいた岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊には台湾人も朝鮮人もいた。
共に日本人として戦っていたのだ。
創氏改名は「強制」ではなく、台湾では「許可制」、朝鮮では「自己申告制」であった。
蔡さんはずっと「蔡焜燦」で通したが朝鮮人はほとんどが創氏改名していたという。
日本が負けたと知って、蔡さんら台湾人生徒は日本人と一緒に悔し涙にくれたらしい。
・・・が、朝鮮出身の生徒達はその日から食料倉庫、被服倉庫を集団で襲って強奪するなど
したい放題のありさまだったという。
日本人を殴って「戦勝国になったんだ」と威張り散らす者までいたらしい。

石原慎太郎の「三国人」発言の歴史的な意味を知って大変驚いた。
昨日まで共に日本人として命を賭して米・英・支那と戦っていたのに、
終戦後、台湾人と朝鮮人はGHQが「サード・ナショナルズ」と規定し「準戦勝国民」になってしまった。
これを日本語に訳したのが「第三国人」である。

third nationals = 第三国人。
彼らは日本の敗戦を境に態度を豹変させ、違法行為、暴動を繰り返した。
『俺たちは戦勝国民だ!』『敗戦国・日本の法など守らなくていいんだ!』

買い出し列車では、朝鮮人が我が物顔で乗り込んで来て、日本人は身を縮めていたらしい。
女は脅され、いたずらされ、男はちょっとでも彼らの気にさわったらたちまちリンチにあっていた。
「三国人」という言葉は、占領軍の威を借りて傍若無人に振る舞っていた「準戦勝国民」に、
日本人が差別を受けていた状況で生まれたのである。


あの引き揚げ列車の中で、私を含め敗戦で意気消沈する日本人をいびり続け、肩をいからせていた朝鮮人たちが
「中華民国台湾青年隊」の腕章をつけた我々におべっかを使って擦り寄ってきたのである。
それは中華民国が連合軍の一員であったからにほかならない。
弱い者には威張りちらし、強い者には媚びへつらう、そんな彼らの極端な習性を目の当たりにした思いがした。
『台湾人と日本精神』より

こんな事実を知ることが朝鮮人に対する差別感を生むようなことになっては絶対いけないが、
歴史の陰の部分を何も知らない世代が増えていくことで、
「言葉狩りヒステリー」だけが吹き荒れる日本のマスコミの現状がある中、蔡さんの時代の証言は貴重である。

NO TITLE

「戦争論」「台湾論」までは、確かに価値ある仕事でしたね。
その後は、評価が分かれてきているようです。

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