藪の眼には涙もでない

藪医者ヤブーのブログ 健康に関すること。独り言。 患者さんの話はフィクションです。

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09.12.09.青山繁晴がズバリ!鳩山氏辞任?小沢氏側近逮捕か!?


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*** COMMENT ***

核武装なき改憲は国を滅ぼす

読書のすゝめ
『核武装なき改憲は国を滅ぼす』
片岡鉄哉

民心安定の二大要素である、法の平等な実施と利益の公正な分配は、特定のイデオロギーの成果ではないのだから

『アテナイの少数派』新潮文庫

ここに紹介するのは、民主主義の元祖ということになっている
古代ギリシアのアテナイに生きたらしい(なにしろ作者不明なので)、
ある反民主主義者が書き遺したものである。
形式も、あの時代におおいに好まれた、対話形式になっている。

A「わたしは、思慮深き人々よりも思慮浅き人々を優遇する政体を選んだ、
 アテナイ人が嫌いだ。
 しかし、選んでしまったのだから、
 それがいかに優れているかを実証してみたいと思う。
  まず、貧民や一般大衆が金持ちやエリートより優遇されるのは、
 国家を強くする原動力を有するのが前者なのだから、
 まったく当然のことである。
 そして、選挙であろうとくじ引きであろうと、この人々が国政に参加するのも、
 国会では望む者は誰でも発言できる決まりとともに、当然の権利である。
  と言っても、大衆は、次の一事ぐらいは承知している。
 つまり、それに就く人の才能が
 自分たちの運命を左右しかねない軍隊の長などの職は、
 その道のプロにまかせるほうを選ぶが、反対にそういう危険がなく、
 安定した給料とか余程の見こまれる職を得るためには、
 努力を惜しまないということである。
  他国の人々は、アテナイ人がこのような思慮浅き人々に
 大きな活動分野を与えている現状に驚きあきれるが、
 これこそ、民主主義を守り強化する最良の道なのであるということを、
 これから説明しよう。
  世界中の思慮深き人はみな、民主主義の敵である。
 なぜなら、思慮深き人々の特質が、首尾一貫した思想にあり、
 不正を憎むことにあり、改善へのたゆまない努力にあるとすれば、
 大衆の特質は、無知にあり無秩序にあり優れた者への嫉妬にあるからである。
 貧困は不名誉な行いに走らせ、教育の欠陥は、俗悪と無作法をはびこらせる。
 そして、大衆は常に多数なのである。」

B「しかし、民主主義者たちはこうも言っています。
 集会では、誰もに好き勝手に話させないで、
 能力があり思慮も深い人々にまず、発言させるべきだと。」

A「とんでもない。
 集会は、より低い知的水準にある者たちに自由に発言を許してこそ、
 理想的なものになるのだ。
 なぜなら、思慮浅き人々は自分たちの利益になることしか提案しないからである。」

B「とはいえ、思慮浅き人々なのに、どうしてどれが自分の利益になり、
 どれが自分の利益にならないかを判断できるのですか。」

A「彼らも、才能は持っている。
 無知であろうと無能であろうと団結してさえいれば、
 賢くて才能の豊かな者たちの間に起こりがちなライヴァル意識から生じる分裂よりも、
 ずっと強力であることぐらいは知っている。
 もちろん、このような人々が構成分子の大半を占める国家は、
 理想的な国家とは言えないであろう。
 ところが理想的な国家でないからこそ、民主主義を守るには最適なのだ。」

B「確かに大衆は、善政下での奴隷よりも、
 悪政下の自由民であるほうを選ぶものです。
 ということは、大衆にとって、善政とか悪政とかは、
 "へのかっぱ"ということなのでしょうか。」

A「いや、関心はおおいにある。
 なぜかというと、思慮浅き人々は、キミの言う悪政下において、
 彼らの持つ力をよりふるうことができ、
 彼らの自由をより謳歌することができるからなのだ。
  それで、キミの求める善政だが、善政が実施されるようになると、
 状況はまったく変わってくる。
 まず第一に、才能のある者が法をつくるようになり、
 それによって地位を得た思慮深き人々は、
 思慮浅き人々のしてきた勝手な振舞いなどは許さないようになるだろう。
 政治も、思慮深き人々が行うようになり、
 国会でも、無責任で扇動的な発言は姿を消すようになるだろう。
  こうして遠からずして、善政の実施によって、
 大衆の奴隷化はついに実現することになるのだ。
 とはいえアテナイでは、幸か不幸か、そのような事態にはなりそうもないがね。
  話をアテナイの民主主義にもどすと、
 善政とはお世辞にも言えないアテナイの現状は、
 以後も変わることはないと確信している。
 最大限に楽観的に考えるとしても、小さな改善が限度というところだろう。
 民主主義政体下で起る不能率、無能なる者どもの専横、
 一貫した政策の欠如は、この政体に体質的に付随した欠陥であって、
 根本的な改革は、民主主義を守り続けるかぎり不可能なのだ。
  もちろん、政体の持つ欠陥を改善するには、
 いくつかのやり方がないわけではない。
 しかし、民主主義は守りたし、かといって善政も欲しいというのは、
 完全にないものねだりというものである。
 重ねて言うが、小さな改善はもちろん可能だ。」

B「わたしの思うには、アテナイの人々はもう一つの面でも、
 つまり外交の面でも、思慮が浅いのではないでしょうか。
 他国と共同戦線を張る必要に迫られた際、
 アテナイ人は常に、選択の範囲内にあったうちで、
 最も無能なパートナーを選びました。」

A「そうかもしれない。
 しかし、彼らからすればこれにもちゃんとした理由がある。
  もしも、同盟者に有能な人々を選ぶならば、結果としては意に反して、
 彼らと同じ考えを持つ人々を不利な状態におとす危険があるからだ。
 なぜなら、すべての都市国家では、
 その構成分子の中の有能な人々が、
 大衆に好意を持っている例はないからである。
 要するにこれも、似た者同士は助け合う、
 という格言の正しさを実証する以外のなにものでもない。
 このためにアテナイ人は、常に無能が支配する国々との間にだけ、
 同盟を結んできたのだ。
  また、有能なる者と同盟を結んだ場合は、
 すべて失敗に終わった事実も否定できない。
 ポエティウスの例が好例だ。
 まもなくして、あの国の大衆は奴隷の状態になってしまったではないか。
 ミレトスの場合も同じだった。
 有能なる者がアテナイと結んで力を強めるや必らず、
 その国の民主主義者たちは、徹底的に打倒されている。
 スパルタとの同盟も思い出してもらいたい。
 スパルタ人はアテナイとの同盟によって、
 スパルタ、アテナイ双方にとっての敵を倒した直後に、
 アテナイに宣戦を布告したではないか」

B「話題を変えましょう。
 個人の権利について話しませんか。
 よく言われることですが、アテナイでは、誰一人、
 不当に個人の権利を侵された者はいない、とされています。
 しかし、わたしには、そう理想的な状態でもないと思うのですが。」

A「民主主義を擁護する立場なのだからその線で言わせてもらうが、
 不当に個人の権利を侵された者があるとしても、
 それはあくまでも反動派に属す少数で、
 問題にするほどの数でもないということだ。
 これほど完璧に民主主義体制が確立している国で、
 そのような恥ずかしいことは、あってはならないからである。」

B「わたしは、不当に侵された者のことを言っているので、
 正当になにかの罪を犯して罰せられた者のことを言っているのではありません。」

A「しかし、大衆が主導権をにぎっている今のアテナイで、
 どうして、罰せられた者の大部分が不当に罰せられたと言えるのかね?
 アテナイで罰せられる者は、つまり個人の自由を剥奪される者は、
 公金横領か公の利益に反した考えを述べた者か、
 でなければ、国家の方針に反した行動をした者ということになっている。
 公の利益とは、もちろん、国の多数を制している人々の利益ということだが、
 結果としては不利益につながっても、
 そんなことは、民主主義を守る者にしてみれば、
 問題にもしてはならないことなのである。
  要するに、このような考えの上に立っているアテナイの
 現民主主義の真の敵は、衆愚政治でも反体制派の巻き返しでもない。
 善政であり、善政を志すあまり
 民主主義への絶対の信仰を持っていない人々なのである。」

B「しかし、ここで攻防ところを変えた感じで、
 わたしのほうが民主主義を擁護することになりますが、
 自由を守り確立するには民主主義が最良である、と多くの人は言います。
 それに、反民主主義陣営に属す人々は、
 あまり自由自由と言わないではありませんか。」

A「それは、民主主義者たちが、見方を欺くだけでなく、自らも欺いているからだ。
 彼らは、民主主義が、自由よりは暴力と近い真実に気づいていない。
 民主主義の誕生は暴力と結びついている事実は、プラトンも言っている。
 ---貧しき大衆が勝利を収めるや、豊かな者たちの何人かは殺され、
 殺されなかった者は追放される。---
  ただし、民主主義者たちが、この事実に気づいているのならば、
 わたしには言うことはない。
 なぜなら、民主主義の根本原理である多数決は、
 五十パーセントプラス一票を獲得した側が、
 思い信ずることを強行するものだからだ。
 少数派の意見も尊重せよ、などということは、
 だから、民主主義の根本原理に反することなのである。
 要は、昨日の少数派が明日の多数派に変れる環境が存在するかどうかで、
 もしも満足できる状態でそれが存在する国があってはじめて、
 民主主義と自由とはつながることになるのである。
  しかし、このような理想的な状態は、今日のアテナイでは絶対に起こり得ない。
 なぜなら、デモクラティアのデモは、多数を意味するだけでなく、
 市民の中の貧しき者、も意味するからだ。
 それに、貧しき人という概念は相対的であるのもまぬがれないから、
 結果としては彼らは、常に多数派なのである。
 民主主義では"質"は、まったく問題にされない。
 "量"だけが支配する世界なのだから。」

B「なんだか、絶望するしかないみたいですね。
 しかし、民主主義には、自由の守護役としてでなく、
 平等の概念を現実化する役割という、名誉も与えられています。」

A「完全な自由を得た人のみが完璧な平等を享受できる、
 とよく言われるが、わたしの考えでは、自由と平等は絶対に両立し得ない。
  まず、民主主義者たちは、自由よりも平等のほうを好むものだからだ。
 なぜなら、自由は、純粋に精神的な満足しか与えないが、
 平等は、日々新たに、小さな物質的な満足を与えてくれるからである。
 平等の概念を急進化した、プロレタリア独裁を思い出すだけで充分だ。
 これが、個々人の自由の破壊にどれだけ貢献したかを考えるだけで、
 それ以上の説明の要もないだろう。
  真に自由を尊重する人々は、法を尊重するものである。
 これら思慮深い人々には、法の確立こそが、
 国民の活力の無用な消費を防ぐ唯一の道と考えるからである。
 一方、思慮浅き人々は、人民自体が法である、
 という彼らの宣言に見られるように、法を尊重しない。
 とはいえ、思慮深い人々の頭にある善政とは、
 ただ一つの主義で解決できるような簡単なものではない。
 民心安定の二大要素である、法の平等な実施と利益の公正な分配は、
 特定のイデオロギーの成果ではないのだから。
  人類は、いつか、なにかの魔法でも用いて、
 利益の平等な分配には成功するかもしれない。
 しかし、個々人の頭の中身の平等な分配までは、
 (コンピューターが活躍する時代になっても、)絶対に不可能であろう。

 この真実から眼をそらしているかぎり、
 われわれのイデオロギー遊びは続くわけだ。
 互いに仇敵呼ばわりしながら、暴力的に続くわけだ。
 墓碑銘にさえ、こう刻まれていたではないか。
 ---短期間であったにせよ、
 無知なる民の暴走を制し得た、価値ある男たちに捧げる---と」

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