藪の眼には涙もでない

藪医者ヤブーのブログ 健康に関すること。独り言。 患者さんの話はフィクションです。

09月« 2017年10月 /  12345678910111213141516171819202122232425262728293031»11月
BLOGTOP » スポンサー広告 » TITLE … メールマガジン「日台共栄」より転載 私の歴史認識を大転換させた台湾との出合い(2)BLOGTOP » 日台共栄 » TITLE … メールマガジン「日台共栄」より転載 私の歴史認識を大転換させた台湾との出合い(2)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

メールマガジン「日台共栄」より転載 私の歴史認識を大転換させた台湾との出合い(2)

20081017084142.jpg
 昨日に引き続き、日本李登輝友の会のメールマガジン「日台共栄」からの文章を転載します。日本の近代化の課程において、台湾と日本がかって同じ国であったことは、お互いにとって不思議な因縁でもあり「福」でもあったわけですが、このことを知らない人がまだまだ多いので、日台の若者にも是非読んでもらいたいと思います。
(写真は本文とは全く関係ない、広大なヤブーマンゴー農場と馬鹿犬コウ)
人気blogランキングへ←気が向いたら、押しておくれ

FC2 Blog Ranking←気が向いたら、これも押しておくれ




私の歴史認識を大転換させた台湾との出合い(2)

                             元高校教諭 石部 勝彦

◆日本の台湾統治の実態

 その前に、先ずは日本の台湾統治の全体像を知らなければならないと考え、最初に読もうとして手に入れた書物が、伊藤潔氏の『台湾』(中公新書)であった。

 実によい本に巡り合ったと思う。この本の副題は「四百年の歴史と展望」となっていて、台湾の歴史全体及び現在や将来の問題まで要領よくまとめられていた。著者の伊藤氏は私とほぼ同年代の方で、日本統治下の台湾で生まれ、国民党政権下の教育を受けられた後に日本に留学、その後日本の大学で教鞭をとられた方である。

 氏は「前書き」のなかで、〈私には日本の台湾における植民地支配を美化する意図は毛頭ない。台湾を支配した大日本帝国は「慈善団体」ではなく、その経営が「慈善事業」でないことは当然であり、「植民地下の近代化」も日本の「帝国主義的な野心」に発したものである。しかし、「植民地経営は悪」の観点からすれば、「植民地下の近代化」は否定され、それを肯定しようとする見解には「反動」のレッテルがつきまとう〉と書き、「帝国主義は悪」の立場からの歴史叙述を批判されて、〈半世紀に及ぶ日本の統治は、善きにつけ悪しきにつけ、今日の台湾の基礎を築きあげたといえよう。少なくとも台湾は、日本の統治で「植民地下の近代化」を成し遂げたことは事実であり、わけても教育制度の整備と普及は、大書特筆すべきものである〉と、日本の台湾統治を肯定的に評価していた。

 勿論、〈小著は日本人の読者を対象にしているからといって、日本の台湾統治に対する批判を避けたり、遠慮もしていない〉と念を押しているが、これはむしろ有難く、このように客観的に書かれたものこそ私が求めていたものであった。

 さて、私が最初に知りたかったことは、児玉総督の時代がどういう時代であったかということだったが、これはすぐに明らかになった。

 下関条約によって台湾は清国から日本へ譲渡されたが、日本が台湾を接収しようとした時、台湾の住民はこれに対し猛烈な抵抗をしたために、日本は大軍を派遣してこれと戦わなければならなかった。約半年にわたる掃討作戦の後ようやく平定したが、大陸から移住してきていた中国系住民の抵抗はほぼ収まったものの、「高砂族」と呼ばれることになる本来の台湾の原住民たちの抵抗は、それからも執拗に続いたのである。

 初代樺山資紀、二代桂太郎、三代乃木希典が総督であった約三年は、まさにこの「土匪」と呼ばれたゲリラとの戦いに明け暮れていたが、その制圧は困難を極め、これらの総督による統治は到底成功したとはいえない状況だったという。ところが、この困難な台湾統治に一大変革をもたらしたのが児玉源太郎四代総督と後藤新平民政長官のコンビであった。勿論、武力で抑える方針を変更したわけではないが、それだけでは駄目で、何よりも民心を掌握しなければならないと考えたのだ。

 伊藤氏はこれを「ムチとアメの併用」と表現しているが、鞭で臨む一方で台湾住民の心を掴むことに全力をあげていく。後藤長官の持論に「生物学的植民地経営」と呼ばれるものがあったという。「ヒラメの目の位置がおかしいといって鯛のようにするわけにはいかない」というもので、その土地の実情に即したやり方をしなければならないというものである。後藤長官は全力をあげて台湾の実態を調査し、それを基にして統治の方策を立案したのであった。そしてこのやり方が功を奏し、台湾の統治はしだいに安定に向かったのだという。

 私は、この児玉総督と後藤長官の時代こそ、日本の台湾統治の基礎が築かれた時代であると理解することができた。そして私の祖父がそのことに関わりをもっていたということを知り、実に嬉しく思った次第である。              (つづく)




*** COMMENT ***

COMMENT投稿

管理人にだけ読んでもらう

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。