2007年12月08日 21:50

台湾民主記念館正門の「大中至正」が7日に撤去された
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台湾民主記念パークの正門の文字が7日、取り外された。国立台湾民主記念館とそれを囲むエリアは、蒋介石・元総統を記念するため建てられたもので、「中正記念堂」と呼ばれていたが、政府は今年これを、「国立台湾民主記念館」および台湾民主記念パークと改名した。
また、これに伴って、正門にある文字、「大中至正」を「自由広場」に取り替えることにしたが、これに反対する一部の人たちが現場に陣取って工事を阻止しようとし、警察が動員されるなど緊張した事態となった。所轄機関の教育部では、このため、台湾民主記念パークを6日から8日深夜12時まで全面的に立ち入り禁止とした。
作業は7日午前に始まり、午後3時過ぎに四つの文字を取り外した。作業人員は、自由広場の四つの文字は8日に取り付けるとしている。この作業については、台北市政府が反発、中央政府のやり方の正当性について憲法解釈を求めている。「大中至正」は蒋介石・元総統の名前の一つから来ており、これを取り外すことは、民進党政府の「脱・蒋介石」の動きの一環と見られている。
中国共産党との内戦に敗れた中国国民党の蒋介石(本名:中正)は、1949年に台湾島に逃走し台湾を占領した。その後台湾に国民党政府を樹立し、1950年に中華民国総統に就任。1975年に死去するまで総統の地位にあった。
大陸から逃亡するにあたって大量の美術品、巨額の金銀や優秀な人材を運び込んだ。このことが後のインフラ整備や経済発展の原動力となったという指摘もある。また独裁体制・戒厳令体制、そして国民党が与党であった時代には、中華民国の建国者、指導者として尊敬の対象とされていた。
一方二・二八事件など数々の台湾生まれのいわゆる本省人差別行為、戒厳令、白色テロを起こしたとして、特に本省人の中では「アメリカは、日本には原爆を落としただけだが、台湾には蒋介石を落とした」として、根強い拒否反応を持つ人も多い。
その独裁体制は息子である蒋経国に引き継がれたが、1988年1月13日、糖尿病に起因する臓器疾患により、台北栄民総医院にて死去した。その職務は憲法の規定に従い副総統であった李登輝に継承された。
台湾国民の民主化を求める声に抗いきれず、蒋経国は1987年7月15日に38年間続いた戒厳令とメディア規制と政党結成規制を排除した。一説では蒋経国自身が台湾の本土化と民主化の必要に気づいていたともされる。
しかし台湾の民主化と自由が平和裏に飛躍的に進んだことは、李登輝という巨星が偶々台湾総統にならなければ起こりえなかった奇跡かもしれない。
李登輝の後を引き継いで更なる民主化を進め、台湾国民の悲願である国連加盟を果たし、独立国としての国際的な地位を高めるとして誕生したのが民進党の陳水扁政権である。
残念ながら陳水扁政権は様々なスキャンダル疑惑をかけられ、また中国共産党の外交工作や米国の非協力により国連にもWHOにも加盟できずに、実質的な成果が得られぬままに2期目の任期終了を迎えようとしている。
来年の3月には国民党の馬英九氏と民進党の謝長廷氏が総統の座を争う選挙が行われるが、一連の「正名運動」を含めた陳水扁氏の最近の言動は自身のレームダック状態の起死回生と次への民進党政権への布石と考えられる。
中国との統一志向が強い国民党政権の再誕生は、日本の安全保障と経済の安定にとっても不透明な要素が大きい。また台湾国民の自由と民主主義を維持発展させるという点から考えても、時計の針を逆回転させる危険性が高い。
少なくとも来年の8月8日に開催予定の北京オリンピックが終了するまでは、中国共産党は大きな行動は取れないであろうから、台湾にとっては今が国民投票を含めて様々なことをおこなう最大のチャンスともいえる。
運命共同体ともいえる台湾の必死の試みを、われわれ日本人も固唾を呑んで見守り、出来ることは何でも協力し、そして天にも祈りたい。
然るに最大の問題は、工作を怠りこの期に及んで北京詣を行っている、わが国の外交なき国会議員諸氏の行動である。なぜにかくも定期的に頭を洗われるために中国に赴くのであろうか。
わが国にとっても幸運の女神には後ろ髪は無く、言われなき過去を反省する暇もまた無いのである。
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