2007年05月28日 23:33
現在在籍している某大学でも、甘え上手のためもあってか結構先輩の男子学生には可愛がられているようだ。
特にある先輩は年も結構上である上に、男気があるために男女に拘らず面倒見がよいが、我が長女に対してはまるで保護者であるかのようにしてくれると言う。
娘は「生き別れになったお兄ちゃんかもしれない。」と周囲の友らに冗談で言っていたが、先だってのダンスの発表会に彼が持病の腰痛を押して応援に来てくれたことにより、何となく回りも本当にそうかもしれないと妙に納得したという話だ。
その先輩は試験の時もわざわざ自分の勉強時間を減らして、後輩にポイントの講義をしてくれたりもするようだ。また留年しそうであった同じ部活の後輩を上手くリードして進級させたりと、とても同じ人間とは思えないよう超人ぶりを示すという。
あるとき娘は「先輩にはこんなに色々お世話になっているのに、私は何も返せないし何時になっても返せそうにない。」と話したそうだ。
するとその先輩は「いや、俺の方こそお前のお陰で、一所懸命になれたり力を貰ったりしているんだ。」と答えたという。
土曜日に長女が寿司欠乏症で帰った折もちょっとその話が出たが、ふと「一所懸命に頑張っている人を応援しているだけで、元気になったり幸福を感じることがあるのだよ。」という言葉が出た。
確かに医者になってからは、患者さんの方が自分より立派だと感じることも多いし、患者さんの方から逆に力を貰うこともあると常日頃思ってきた。
だが最近それとは別に、目標に向って愚直に伸びていこうとする人を応援したいという気持ちが、自分にも少しはあったことに驚いている。
私の場合、おそらくそれは老いのなせる業であろう。人間だれしも死が近づくと、自分の子供くらいはしっかりとした人間に育てたくなるともいう。
しかし自分の子供の場合、愛着と反発が共に強すぎて逆に難しいかもしれない。お互いに余りに身近すぎて、悪いところばかり眼が行き、良き誤解が生じ難いのだ。いい意味でのおせっかいのつもりが、多くの場合ただ「うるさいだけ」と受け止められる。実際大抵の親は、何時までも幼少時と同じ視点で言動し、子供との距離感を誤る。
娘の先輩のように若いときから良い距離感を持っており、しかも良き誤解が生じうる人間と出会える人もいれば、そのどちらも持てないまま一生終わる人もいるだろう。
私の場合は、まあ、ほどほどのところで終わりそうな予感がする。
幾らかでも人生を深める余地がまだ残されているかどうかは、誰にも分からない。
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