2007年04月30日 23:01
子路曰く衛の君、子を待ちて政を為さば、子将に奚をか先にせん。子日わく、必ずや名を正さんか。
私の父は86歳で軍隊時代は内地で敗戦を迎えたが、札幌にいる伯父は90歳でなんとノモンハン事件も経験している。また父の弟である叔父はシベリアに3年ほど抑留されたが、何とか無事に生還できた。
残念ながら、その時の彼らの体験を詳しく聴く時間はほとんど残されていない。私がもう少し若いころは戦争や歴史に対しての関心は今よりも遥かに薄く、たとえ話されても聞く耳を持たなかったかもしれない。
現在はある程度こちらに準備が整い、むしろいろいろ聞きたいと思っても、遠い北海道に住みかなり老いて耳も遠くなった伯父たちから実際に体験を聞き取ることは困難である。
それでも伯父はかなり筆まめな方で、原稿用紙に鉛筆の達者な文字でしばしば手紙をくれていた。そしてその端はしに、日本の現状の不甲斐なさを嘆く言葉がちりばめられていた。
本日父親と少し飲んだ折、『敗戦後の新聞などは「日本が如何に悪いことをしてきたか」という記事ばかりになり読みたくなかった。』という言葉を吐いた。
これは現在では当時の占領政策の一環として「プレスコード」で報道管制、情報操作を行っていたこと。日本人に戦争に対する罪の意識を植え付けるための、いわゆるウォーギルトインフォメーションプログラム(WGIP)や、問題意識をそぐための3S政策、そして「言葉狩り」によりその国の歴史を消す政策であったこととして知られている。
しかし当時の無学な若者としても、なんとなくおかしいということは肌で感じていたのだろう。その後の兄や私の誕生もあり、食べることが精一杯であったであろうし、取り立てて意見をいう場も方法もなかったから今日まで馬齢を重ねてしまった。
両親や伯父たちの言葉を些かなりとも引き受ける立場・年齢の私としては、やはり言葉を取り戻し、「名を正す」ことからはじめるたいと考える。
占領政策の一環として祝祭日の呼称も変えられてきたが、昨日の先帝陛下の御誕生日が幸いにして「緑の日」から「昭和節」に改まったように、文化の日を「明治節」、建国記念日は「紀元節」、そして「勤労感謝の日」は「新嘗祭」と元の名に戻し、宇宙万物と一体で森羅万象に神が宿るという「随神」の精神を取り戻して行こうではないか。
これは恐らくは何の役にも立たないかもしれない。しかし少なくとも人間が生きるとは、命以上の何かを引き受けていくことだと思う。
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