本日の散歩

2007年02月09日 21:26

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 本日の昼はのどかであったので、昼休みに30分ほど散歩をしました。
 今回も桜の名所として局所的に有名な「満福寺」まで、ちょいと行ってきました。
 桜の花はもう咲いた人もいるでしょうし、これからの人も、あるいはすでに今年は散った方もおられるかもしれませんね。
 「散る桜、残る桜も、散る桜」と偉い坊様が言っていましたが、できれば一度くらい咲いてから散りたいものです。
 受験生の皆さんは、風邪に気をつけて、桜の季節までもう一分張りしてください。
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いくら機会均等とはいえ

2007年02月09日 00:08

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日本の国宝の一つに「明恵上人樹上坐禅像」というのがあって、評論家の小林秀雄が非常に好きだと何処かで書いていた。
 この僧は木の股でも木の空洞でも石の上でも、座禅をするのに格好なところを見つけて座っていた。若い頃から天竺に行ってお釈迦様の跡を弔いたいと思っていたが、春日大明神の夢のお告げがあり思いとどまった。
 しかし紀州の鷹島で座禅をした折に海岸で石を拾い、仏跡の形見として肌身離さず愛玩し、死ぬときには、小石に向かって辞世の歌を詠んだ。それどころか物の道理を弁えぬ世間に我慢できなくなり、島に手紙を出したりしたという。
 
 昔「女ほどめでたきものは又もなし釈迦や達磨をひょいひょいと産む」という戯れ歌を、ジョージ秋山の漫画か中村天風の本で読んだような気がするが、旨いことを言うと妙に感心した。
 また2年生の途中まで通っていた旭川の高校の倫理社会の教師の、「偉人の母親は大抵立派であった。母親が立派であれば、父親なんかはどうでもよい。」とかいう極論に納得したこともある。
 古来、大和心という「大らかでしなやかな心」はむしろ女性にこそあるもので、「漢文・漢籍」などという学問ばかりやっている男はむしろ頭が固くて馬鹿であるとされていた。
 しかしその馬鹿な男の言葉尻を掴まえて、テレビで嬉しそうに屁理屈を捏ねている女性には、あまり有り難味を感じない。それどころか、程度の低いマスコミのお囃子道具にさえ見えてくる。
 あれに比べれば、むしろ黙って転がっている石の方が歴史もあり、万感の思いを語っている人格者にさえ感じてくる。 
 幸いなことに私の近辺の女性たちは、誰一人として話題にすらしない。
 一体全体どこの女性が怒っているのであろう。
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