20070114102423

 30年くらい前ジョージ秋山氏の漫画「浮浪雲」の中で、「散歩の途中で富士山に登る奴はいない」という言葉を知った。確かに大目標を達成するためには、まず「目標の設定」、現状の認識、計画、準備、忍耐、そして変化する現実に対応する柔軟性などが必要であろう。
 人生の半ばを過ぎ、大学を卒業した時までの距離の遠さとあの世までの距離の近さを思えば、富士山に登ることは「年寄りの冷や水」を越えた無謀なことである。であるから私は散歩しかしないことにした。
 しかしこの散歩という奴も、寒かったり風が強い日には億劫になる。今日のような穏やかな散歩日和は新年以来珍しい。はるか遠くの方には、もう登ることもないであろう美しい山々が雪をかぶっているのが見える。
 散歩の途中で富士山に登るのは無論難しいが、ちょっとした思いつき位なら毎回生まれる。

 最近はご夫婦で散歩やウォーキングをされている方も多い。今日も、私がたまの休みに歩くたびにすれ違う同世代位のご夫婦をお見かけした。
 ご主人は眼鏡をかけ細身でかなり背が高く、奥様はやや小さめの方である。歩くときはいつも大きい方の後を少し遅れて付いて行かれる姿が微笑ましい。時々立ち止まって、並んですこし遠くの方を指差して何やら楽しそうに話している。
 おそらくあのご夫婦にも、嬉しいことや苦しいことがたくさんあったのであろう。しかし今二人で歩く姿は静かで、私に「幸福」を感じさせる。

 私の診察室に来るたびに、夫の悪口を言っていた患者さんがいる。定年になって毎日家に居られたらどうしよう、と何年間も本気で困っているように話していた。
 ところが先日診察された折には、「一週間に一回は日帰りで温泉にしょうがなく行っている」と言う。

 この場合は菊池寛流に言えば、「夫の悪口を言っていても私はたいてい聞き流す。妻はかげでは夫を悪く言うものだからである。悪く言っても内心感謝していることもあるのに、悪口だけ伝えられることが多い。」ということになるかもしれない。もちろん、「夫」を「妻」に入れ替えても良い。
 
 わが心の師の一人は、「夫婦のうち人間的にエライほうが、相手を言葉によって直そうとしないで、相手の不完全さをそのまま黙って背負ってゆく。こうした心の態度を確立する他ないようです。」と述べているが、これは実に難しく多くの場合逆をやろうとして失敗する。

 昨今は人間的にエライ人が目立たず、自分が偉いと思っている人が、エライ事件を起こして新聞やテレビを賑わしているようだ。

 小説「爺さん婆さん」の静かな幸福はまれなのだろうか。
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