
というのは冗談で、二女が居なくなりちょっと寂しいので、ヒヨコを飼い始めました。息子だけでは殺風景なので・・・。
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e-アフィリ こんにちわ!とても興味深い記事なのでブログ拝見させていただきました!!
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ねぶた祭り このひよこらしいものはだれですか?
ヤブー(管理人) >>ねぶた祭り様
よく「ひよこ」だと分かりましたね。
でも、よく観てください、3羽居ますね。
正しくはひよこ1号、ひよこ2号、ひよこ3号と命名しました。
大きくなるとイヌ子が怖がるかも

みのもんたが腰痛経験著書を出版
著書「それでも僕は立ち続ける」のPR会見を行うみのもんた みのもんた(61)が4日、著書「それでも僕は立ち続ける」(日本テレビ)のPR会見を都内で行った。脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)による腰痛のため1月に人生初の手術を受けた経験をまとめた。「手術をしてくれた病院の外来がパンク状態らしい。全国にこんなに腰痛に悩む人がいるのかと驚いた。僕の経験が何かの役に立てば」。週10本のレギュラー番組を持ち、ますます元気。次の野望を聞かれると「3人の子供が独立して今は女房と2人。できれば子供が欲しい」と豪快に笑っていた。
[2006年4月5日10時46分 日刊スポーツ紙面から]
この人の番組は医者仲間でも評判が悪いですが、いやー元気というか商魂たくましいというか、立派なプロですね。
脊柱関狭窄の手術は2種類あり、みのさんが受けたのはお腹を開けない簡単な方のようですが、さも大手術のようにみせる演出が旨いですね。
本は売れるでしょうし、本の題名どおりであれば、子供もできるでしょうね。
でも、そしたら、今の奥さんとの仲が大変かも!?
人気blogランキングへ←私も立ち続けてみたい。愛のある方は愛を、お金のある方はお金を恵んで下さっても結構です。
教育は、いわゆる知育、体育、徳育の三つに分かれる。この中で一番重要なのは徳育である。そしてそれが一番難しい。
教育者は生徒に一たび「志」を持たせることができたなら、教育の半ばを終えたと言っても過言ではない。後は生徒が自ら進んで勉学に励む。
この志というのは、遅くとも十五歳くらいまでには持つ必要がある。かの孔子も「吾十有五にして学に志す」と述べているように、それ以降は我欲が出てしまうので「無私」になることが難しいからである。
昔渡部昇一が何かの本で書いていたが、氏が中学生の頃に同級生たちと担任の先生の家に遊びに行き、余りの書物の多さに驚いたという。そして先生のように書物に囲まれた生活に憧れ続け、それ以来勉学に励みやがて山形の田舎から上智大学に進み、今日の学者・評論家としての氏に至ったと述懐している。
その時先生の家に遊びに行った友人たちは数十人居たそうであるが、渡部氏のような志を抱いた者は他にいなかったようである。つまり同じ体験をしても、感じ方はそれぞれであるということだ。
ここに徳育の難しさがあり、「志を持て」と言ったところで持たないだろうし、いわゆる道徳やサクセスストリーを話したところで、単なる知識として頭の中をかすめる程度で終わってしまう。志が生じるためには、人智を超えたある物や卒啄同時とも言へる瞬間が必要なのだろう。
私もいま、数年以上の付き合いになる三十代の無気力な若者の治療に難儀している。何もする気が無く、日がな一日TVを観ており、たまに仕事をする気になると今度は不安になり、アルコール依存状態になるのだ。
あちらこちらの方向から揺さぶってはみるものの、なかなか旨く行かない。まことに精神の力としての「徳」を身につけることは困難を極める。
人気blogランキングへ←医療もまた教育に似ている。愛のある方は愛を、お金のある方はお金を恵んで下さっても結構です。
教育者は生徒に一たび「志」を持たせることができたなら、教育の半ばを終えたと言っても過言ではない。後は生徒が自ら進んで勉学に励む。
この志というのは、遅くとも十五歳くらいまでには持つ必要がある。かの孔子も「吾十有五にして学に志す」と述べているように、それ以降は我欲が出てしまうので「無私」になることが難しいからである。
昔渡部昇一が何かの本で書いていたが、氏が中学生の頃に同級生たちと担任の先生の家に遊びに行き、余りの書物の多さに驚いたという。そして先生のように書物に囲まれた生活に憧れ続け、それ以来勉学に励みやがて山形の田舎から上智大学に進み、今日の学者・評論家としての氏に至ったと述懐している。
その時先生の家に遊びに行った友人たちは数十人居たそうであるが、渡部氏のような志を抱いた者は他にいなかったようである。つまり同じ体験をしても、感じ方はそれぞれであるということだ。
ここに徳育の難しさがあり、「志を持て」と言ったところで持たないだろうし、いわゆる道徳やサクセスストリーを話したところで、単なる知識として頭の中をかすめる程度で終わってしまう。志が生じるためには、人智を超えたある物や卒啄同時とも言へる瞬間が必要なのだろう。
私もいま、数年以上の付き合いになる三十代の無気力な若者の治療に難儀している。何もする気が無く、日がな一日TVを観ており、たまに仕事をする気になると今度は不安になり、アルコール依存状態になるのだ。
あちらこちらの方向から揺さぶってはみるものの、なかなか旨く行かない。まことに精神の力としての「徳」を身につけることは困難を極める。
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